救いようがないがゆえに希望と安吾は言った
言説を自分の方に引き寄せて理解しようとする態度では、自分のフィルターからこぼれてしまうものをどうやって担保するのだろうというのが疑問のひとつ。
ある意図があり、それを言語で組み立てて伝える。
ここにも轍があって、言語で組み立てる、というときには言語があたかの道具のようにみられているけれども、実は言語によって考えることが可能になっているとすれば、その意図というのはまず言語の制度で、制度がわたしをして考えさせている、こともいえよう。
これがさかのぼって二つ目の疑問。
実は最初の疑問の前に来るべきなのだけれども、遡行的に見いだされた(わたしがそのように見いだした)がゆえに第二の疑問。
いずれの疑問にも明確な答えなどなく。
ただ、ただ、疑問を疑問として。
古来、詩人が行ってきた格闘の一端にでも触れらたとすれば良し。
そうでなければ、他愛のない嘆き、あるいはため息の如きものかも。