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とりとめなく書いています。続けていればそのうちに意味が出てきそうな気もしていますが、それも思い過ごしになりそうです。

スムーズな日本のわたし

昨日のエントリーと少し関連する(かもしれない)事ですが、日本の社会では物事がスムーズに動く、ということが割と重要なようです。

 

昔、暮らしていた国では、日本と比べると割と緩い感じではありました。

 

先進国ではあったのですが、お昼休みになると、例えハナシの途中でも役所や駅など窓口を閉めて(従って、ハナシを締めて)しまいました。乗り掛けの用件を終わらせてから休憩に、出は無く、ちょん切って休憩に入るという感覚。日本ならなかなか無い事だと思います。

 

あるいはまた、週給を小切手でもらっていたのですが、週末は窓口が込むのでATMを利用しても、小切手に裏書きして、封筒に入れて、現金のように預け入れていました。封筒には小切手の額面と自分の口座番号を書いて、さらに、ATMの画面でも額面の金額を入力していたような記憶があります。で、小切手をATMに入れても、預金額に反映されるのには2週間くらいかかったように覚えています。
窓口で小切手を口座にデポジットする際は、残高への反映はなぜかATMよりも早く(それでも2〜3日かかったか?)なりましたが、その場では額面の10%程度しか現金化できなかったハズ。

 

何かに付け、物事が日本のようにエレガントなスムーズさでもって動いて行かない訳です。

 

尤も、大金持ちとか、有力な政治家とか、特別な立場の人は違ったようでしたが。

物事をスムーズに動かすには金なり政治力なり、特別なものを備えている人である必要がある訳で、一般の人にまで日本のようにスムーズさの恩恵にあずかれない社会でした。

 

こういう国での交通の状況と比べると、日本で、ものすごい熱心さで車がスムーズに走る事に固執する(ように見える)のは、当然なのかも分からない、などとツラツラ考えながらやや強い風の中、バッハを聴きつつ散歩していました。

 

個人的にはグールドよりも「創造的」な演奏だと思います。

高橋悠治さんのバッハ。