雨の日にポリーニを聴く
春は一年で最も気に入らない季節な訳です。
花粉症であるが故に、というのは自覚的な理由なのですが、きっと他にも理由があって、それは、例えば普段は決して聴かないロマン派の作曲家、なかでもショパンなぞを何故ゆえか聴きたくなったりするからなのです。
きっとアタマの中のどこかがトチ狂ってしまうのでしょう。
で、ショパンです。
遠い昔、学生時代にピアノのレッスンの課題に出されて無理矢理弾かされたほかは、敬して遠ざけていた作曲家の筆頭がショパンでした。
あの劇的な、ただしハーレクィーンロマンスのように浅はかな音楽の身振りには、非常に陳腐なものを感じていましたし、細部構造には何も構築的な意思(建築への意思=柄谷行人)を見出す事が出来ませんでした。
一方で、聴取し易い構造(和声そのものやそれと旋律との関係性、転調関係、期待の地平にすっぽりと過不足無く収まる形式感など)が、情操教育的無味無臭クラシック的有閑マダム的知的怠惰に感じていた訳です。
しかも、弾く、という観点からも、適度にややこしいけれども、ピアニストの身体適合性が高いとでもいうのでしょうか、ある種の身体的快楽を与えるような音の動き、音の配置は実は弾き易く、それでいて、難易度が高く見え、有名な曲も多い事から、見栄えも良い、と。
言い過ぎですか、すみません。
真剣にショパンに取り組んでいる学生さんなどいたら、ごめんなさいね。
それほどマイナスの方向に非常に好んでいたショパンをここ数年、この季節になると聴きたくなることがあるのです。
好みが変わったワケではない。
なぜなら、聴いた後は聴かなければ良かったと必ず後悔するからです。
きっと心理学上の問題を抱えているのでしょう。ショパンはわたくしのコンプレックスのどこかを刺激する?
そして、さっきもショパンを聴いてしまいました。
それでもショパンはショパン、わたくしにとっての鬼門なので、ピアニストは選びます。ポリーニ、あるいは傾向は全く違いますが、ポリーニ以外ではラローチャくらいでしょうか?
...でもやっぱり後悔して、途中で止めました。
シュトックハウゼンもいいと思う。
そういう訳で、これ。
物凄い演奏だと思います。知的かつ情熱的。