道路の雪は溶けた。
歩道にはまだちらちらと。
駐車場や庭には積もった雪が残っている。
そうした風景を眺めつつ聴く。
ただし、この作曲家(のこの音楽)に、ロマンティックな心象や毒にも薬にもならないBGM的なモノを聴くとヤケドします。それは大きな誤解。
ここからつながるのは、楽音と騒音との区別、聴き当てられる音と聴こえる音との区別、音楽と音との区別を無効にしようとした(そして、事実無効だと確認された?)企みなのだから。
しかし、この企ても主体的なものではなく、作曲者自身は、いわば、触媒のような立ち位置にとどまる。
そうした意味での「風景=landscape」。